循環器内科うし先生のほのぼのブログ

北海道の中規模病院で勤務する循環器内科医のうし先生です。

心臓マッサージをする適応/しない適応

こんにちは、うしです。

 

前回は人工呼吸器と気管切開の話を書きました。それに関連して、少し重たいテーマでかつ、色々な誤解なども多いテーマですが、胸骨圧迫(心臓マッサージ)やその他蘇生行為や延命行為について、書きたいと思います。

 

医療者と非医療者(終末期患者さんの家族の方も含む)どちらにも伝えられるように書いてみます。

 

 

 

 

 

●蘇生行為とは

 

蘇生行為とは、以下のもののことを言います。市民向けで街中でもできるBLS(1次救命処置)と院内で医療者が行うACLS(2次救命処置)に主に分かれています。

例外や細かいやり方がありますが、紹介のため簡単に書きます。

【BLS】

気道確保…頭部を後屈して顎先を挙上して、気道確保します。

胸骨圧迫(心臓マッサージ)…文字通り心臓マッサージのことです。

人工呼吸…マウス to マウスで呼吸を送ります。スキップされることもあります。

AED…パットを貼り、必要があれば除細動をします。

【ACLS】上記BLSに引き続き行います。

マスク換気…口ではなく医療用の送気マスクで酸素を送ります。

アドレナリン静注…アドレナリンという昇圧剤(血圧を上げる薬)を使用します。

除細動…必要(適応)があれば電気ショックをします。

 

ここでは、ACLSの流れが大事なのではないため、簡単に、蘇生行為というのは心臓マッサージ+換気+αとだけ押さえておけばよいです。

 

BLSもACLSも資格がありますが、もちろん持っていなくてもやれますし、必要であればやらなくてはいけません。

 

例えば街中で急に人が倒れたら、周囲の安全を確保して意識を確認し、意識なく呼吸をしていなければ、心臓マッサージをやらなくてはいけません。自動車学校で教わるあれです(笑))。

 

ただし、このあとは入院している場面で主に書いていくため、少しイメージとは異なるかもしれません。

 

 

 

 

 

●どんなときに蘇生行為をするのか

 

まず適応としては、意識がなくなり(医療者であれば)呼吸と脈の触れがなくなったときになります。

 

それに尽きるのですが、街中で行うBLSは、努力目標、といった感じと思っています。急に隣の人が倒れ心停止しているのであれば、どんな背景かわからない(=助けない理由がない)ため、心臓マッサージをするべきですが、突然のことで非医療者がどこの誰かもわからずに心臓マッサージをするのは非常にハードルが高いため、できたらすごい、という雰囲気になります。

(ただし自分の運転で人をはねた場合は、自動車免許の講習でも受けているはずで助ける義務があるため心臓マッサージをしなければなりません)

 

一方で病院の場合、特に入院患者の場合、病院での責任があり、しかもその人の医学的な情報もあるため、基本的には絶対に心臓マッサージをしなければなりませんし、蘇生行為として全て行わなければなりません

 

この点がまず異なると思います。今回は特に院内のことを引き続き書いていきます。

 

また蘇生行為の是非を語るために必要な用語?があるため、まずそちらを書いていきます。

 

 

 

 

 

●DNARとは

Do Not Attempt Resuscitationの略で、蘇生処置拒否のことを言います。

学会から事細かい定義などがありますが、要するに、

元々助からなそうで、事前に患者(家族)と医療者(主に主治医の医師)が取り決めしておけば心臓が止まっても蘇生行為しなくてもいいよ、ということになります。

 

病院であるあるなのが、心肺停止時DNAR、とカルテなどに記載する行為ですが、これを?急変時DNARと書く人(またはそう解釈する人)がいてこれは間違いです。

日本語に直すと、急変した(急に体調が悪くなった)とき心臓マッサージはしない、という意味になりますが、体調悪いくらいでは心臓マッサージはしません(笑)。心肺停止時と急変時を掛け違えているため論外です。

 

後述するように心臓マッサージは非常に侵襲が強く、亡くなる前の患者さんに多くの苦痛を与えることになります。

自分の周囲で訴えられた人はいませんが、明確なDNARの取り決めがされているにも関わらず病院のミスで心臓マッサージを行い、不利益がある場合は訴訟にもなりかねないと考えています。

もちろん、DNARの取り決めがない場合は上記の通り、救命をしないといけないため、心臓マッサージをしないことは医療過誤と同等に扱われかねません

 

この訴える系がニュースにも大きく報道されやすいため(例えば神経難病の人の呼吸器を外したら殺人罪で訴えられたなど)、医療者は非常にこのDNAR問題を、本来の目的とは少し外れて、かなり神経質になっていると思っています(自分も含めて)。

 

 

 

 

●延命行為とは

次に延命行為について書きますが、延命行為とは何でしょう。

これについては、意外と定義が難しいと思っています。

ネットで調べてみると、生命予後不良で根治が見込めない患者に対して、対症療法で延命を図ることとあります。

 

まあそうなんですが、例えば前立腺癌がんステージⅣの場合ですが、前立腺癌は比較的予後の長いがんです。ステージ4で予後不良ですが、この方が急性心筋梗塞になって今治療しないと死んでしまう場合、その治療は延命行為でしょうか?

(例えば予後1年の元気なステージ4の肺がん患者でも同じです)

 

自分が思うに

生命予後不良でその病気のために人間らしい生活ができなくなった患者に対して、その病気関連に対する対症療法で寿命を延ばそうとすること

というのが本来の定義なのかと思っています。

例えば、肺がんのステージ4になり、さらに進行衰弱し、ベッドで寝た切り(予後3か月程度)で食事を摂れない状態になった患者に対して、食べられない代わりに胃管や胃ろうから栄養を与える、などにあたるかと思っています。

 

しかし、では輸血は?人工呼吸管理は?肺がんとの関係は?となると難しいです。

 

また、例えば100歳超えの病気をしたことがないおばあちゃんが、急性大動脈解離になって今すぐ開胸の10時間の手術しないと死んでしまう状況になったとき、生前から「もう年だから手術などしなくていいよ」などと言っていた場合、

この状況で本人の意向を無視して(意識がなくなっている場合など)手術をすることは、なんだか延命行為な気がします。

 

このように、延命行為とは定義が難しく、また人によって解釈も変わりうるため、簡単に、

過度に寿命を延ばす行為

と程度にしておくのが妥当と考えています。

 

 

 

 

 

 

●ACPとは

 

Advance Care Planningの略で、

患者さん本人と家族と医療介護者みんなで、現在の病気だけではなく、意思決定能力が低下したときに備えて、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について話し合っておくことを言います。

 

簡単に言うと、

最期をどこでどう過ごしたいか、や、延命行為はしてほしいかなどを事前に共有しておこう、ということです。

 

いいことですね、しない理由がないです(笑)

家庭医療系では今トレンドになっていますね。

 

これこそ定義は難しいです。

家庭医の訪問診療のことはあまりよくわかりませんが、自分みたいな急性期の入院を扱う医療者にとっては、入院患者患者側の漠然とした希望(≒雰囲気)が大事なのかなと考えています。

例えば急なことがあっても「手術まではしてほしくない」や、「痛い治療はしてほしくない」、「できるだけ頑張って治療してほしい」などの希望を入院時に聞いておくのは大切だと思います。

 

 

 

 

 

●心臓マッサージをするとどうなるか

 

タイトルの心臓マッサージの適応(是非)を語る前に最後に、心臓マッサージをするとどうなるかということを率直に書いておきます。

 

院内の場合は、最初に書いたACLS通りのことをするためマスクで換気しながら心臓マッサージをしますが、気道確保が不安定のため人手が揃ったら気管挿管を行います(先日書きましたね)。

並行して、アドレナリンという心臓をたたく薬を3分おきに使用します。

電気ショックの適応があればしますが、逆になければ、気管挿管して酸素を送って、心臓マッサージをしながら定期的薬を入れる、ただそれだけです。

本当ならさらに並行して、心停止の原因を検索を行います。中には緊急の処置で救命できる病気があるからです(ここでは割愛しますが)。

 

実際のところこの心臓マッサージ→蘇生行為をするとどうなるかというと、

元の病気に関わらず、助からないことがほとんどです。

入院中の患者さんがそれこそコードブルーみたいに、その場で病気を診断して、開胸して助かるなんてことは非常に稀です。

それこそなぜ心臓が止まったかによりますが、現実的には痰詰まりか心筋梗塞とそれに伴う致死性不整脈以外は救命は困難です。

 

そして、心臓マッサージも通常の40%程度しか脳などに血流がいっていないらしいです。

心臓マッサージの質にもよりますが、経験的には、10分以上心臓マッサージを続けた場合、助かってもほとんどは植物状態になる印象です。

 

また、次第に肋骨が折れます。嫌な感覚です。だんだん胸がぐにゃぐにゃになります。

(生きている人の場合は激痛なのですぐに飛び上がるようです。なので自動車学校では、意識がなければとりあえず心臓マッサージをすると教わります(生きていればすぐわかるため))

 

また心臓マッサージで気道損傷をするため血を吐くことが多いです(気管挿管後に)。

 

死亡後のCTをみると、肺損傷などで肺が真っ白になっています。

 

採血をみると心臓マッサージでの肝損傷のためか、肝臓の数値が通常の数百倍まで上がることが多いです。

 

つまり、心臓マッサージ自体が見込みが非常に少ない割に、非常に苦痛を伴う行為であるということです。

 

自分は、助かる見込みがない場合は、できるだけ避けたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

●心臓マッサージをする適応/しない適応

 

このブログで、安易に適応なしなんて書きません。

 

悪い例として、「すごく高齢なのでDNARなのではないですか」とありますが、病院は病気を治すところなので、個人的にはもともと元気な人は何歳でもまずはしっかり治療すべきと思います。

これ非医療者にとっては当たり前かと感じる人もいるかもしれませんが、病院関係者的にはむしろ意外に思われるかもしれません。

 

実際に、100歳の軽い初発肺炎でDNARの話をしないと指導する悪い指導医はいます。

これは完全にACPと延命行為、DNARを頭の中で勘違いしているからです。

 

 

逆に心不全、腎不全、肝不全、がん、るい痩などについて、治せないもの/治さないものがはっきりしており、余命もそこまで長くない場合は、個人的に、多少急な経過であっても蘇生行為は最期の身体を傷つけてしまうのでお勧めしがたい、と思っています。

これには反対意見もありそうですが、他の治療をしないというわけでは全くないのと、蘇生行為の救命率が低いうえに元々の状態も悪いため、正直何が原因であってもほぼ助からず、身体を痛めてしまうからです。

 

よく患者家族側からあるのが、「私たちが到着するまで心臓マッサージをしていてください」と電話で言われることです。

気持ちはすごくわかるのですが、少し失礼なことを言うと、それは家族のエゴなのではないかと思ってしまいます。そのくらい心臓マッサージは身体を痛めます

 

実際には上記の中間くらいで悩ましいことが多いですが、自分としては、その患者さんのこれまでの、また入院前後の経過とそれこそACPを確認すれば、自ずといつ何の確認をしたらいいかわかると考えています。

(自分はこのあたりのことで困ったことは今のところほぼないです)

 

 

 

 

 

 

●気管挿管をする適応/しない適応

 

これは前回のブログでも少し書きました。

 

ここで言いたいことは、心停止→蘇生行為と気管挿管→人工呼吸管理は全く別のことということです。

 

具体的にかつ、少し駆け足になりますが、

 

例えば高齢で入院した肺炎患者の場合

 

まずACPを確認するため、「もしものときは気管挿管(場合によっては気管切開)しても治療していいか」をそれこそフランクに確認すればいいです。

医療者からみて、お勧めできないとき(認知症もひどく機械つなぐとそれこそ延命行為に見えるときなど)はお勧めできません、と伝えるのがいいです。

相手が家族でも本人でも、そこで答えを決めなくていいです。

もしそのとき(急変)が来たら電話→可能であれば来院でそのときの状況で最終的にどうするか決めたらいいです。

これは主治医でなくても当直医でも、きちんと入院時ACPを確認していればいいと自分は思っています(主治医が家からきてもいいですが)。

 

大切なことは、急変したときに、家族より「そんなこと聞いてなかったから何も考えてません!」と思わせないことだと思います。

 

また、心肺停止時の心臓マッサージは1秒の猶予もありませんが、それ以外は、少しの相談する余地があります。

 

(実臨床だと、やたらに●●するかの取り決めは厳しいのに、●●になる可能性があるという連絡は少ないなと感じます)

 

また、もし「気管挿管までの治療はいいよ~」という意思がある場合、蘇生行為の中には気管挿管がセットであるため、蘇生行為の適応はないと考えるべきです。

(急なことでも患者側の意向を無視して心臓マッサージ→気管挿管をするのは本意ではないです)。

自分はこの場合、「今のところ急変のリスクは少ないけれど、もし急に心臓止まったときは気管に管をいれないといけないし、待機的に気管挿管するよりもよっぽど分が悪いから、心臓マッサージなどは不適切と思いますがどうですか?」と聞いています。

これで悪い感じになったことはありません。

 

あと自分が思うに、「●●どうしますか?」と患者側に全て委ねる医者。

悪くないのかもしれませんが、自分としては決定権を渡すというのは(特にしない側を選んだ場合)後々責任を過度に感じられると思っています。

(例えば「自分があのときしなくていいといったからおじいちゃんは死んだんだ」と思い込むなど)

それならば、医療者としてお勧めできないこと(こういう場合に気管挿管は不適切だ、など)は率直に伝えた方が残された家族のためになるのではないかと考えています。

ただし、一歩間違うと診療を強制することになるため注意が必要です。

 

 

 

 

 

●まとめ

 

うまくまとめられなくて申し訳ないですが(こういうときはDNARですも言えないため)、言えることは、

 

心肺停止時のDNARとACP、延命行為、気管挿管などをしっかり使いわけることが大切

 

医療者はACPで患者側の漠然とした意向は普段から感じるようにする

 

急変など起こりうることは事前に、かつ正直に伝える

(逆に決定を早期に取り決めすぎなくていい)

 

心臓マッサージ(胸骨圧迫)はいずれにしても侵襲が大きく見込みが少ない(ことも必要になりそうであれば伝える)

 

 

といった感じでしょうか?

文字にするのは難しいなと感じました。

 

答えはない問題で、少しでも誰かの参考になれば幸いです。

(不快に感じられた方がいらっしゃったらすみません)

 

 

 

 

重たい話になってしまったため、中に浮いたインコで締めます。

 

 

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